明社埼玉県協議会(加藤玄靜会長)は南三陸「歌津夏祭り」開催の令和元年8月4日(日)~5日(月)に「(子ども)交流バスツア-」を
実施しました。4才の幼稚園児ら小学生の子ども16人、大人28人、予想を超え44人の参加者で、
急遽バスに加え2台のワゴン車で向かいました。
予定より遅れ午後2時頃、南三陸志津川港に到着しました。プログラムは次のとおりです。
①志津川湾巡りのクル-ズ船
猛暑の志津川漁港から湾巡り50分のクル-ズに乗船。
カモメや海猫の餌やりに子どもも大人も夢中に。船長の津波襲来話や海産品の紹介が有りました。
②高野会館の見学
南三陸ホテル観洋のご厚意で見学できました。
鉄骨むき出しの天井、部屋の仕切りやドアは流され、結婚式場の神殿は当時の姿のまま、新郎新婦入場用のゴンドラは
宙吊のまま、宴会場のカラオケテープは埃を被ったまま、時間が止まったままでした。
高野会館館長の判断で、327名の来館者など屋上避難し、足元まで海水に浸かりながら雪が舞う中、
一晩中立ちっ放しで過ごし全員助かったというお話や、
「避難訓練、準備は大切なことだ。しかし最後は自分の命は自身で守るもの」
「いざ災害に遭遇すると誰もが初めての体験」
「池袋の自転車親子を巻込んだ事故現場に行って見た。歩道を渡るのが2秒ずれていたら、『命』は助かった」
「何時、何処で災害に合うか分からない。咄嗟の判断や少しのタイミングの差で生死が分かれる」
そして「震災知らずの子どもが今年入学、どう継承するか?語り続けることが大事だ」
などホテル観洋の伊藤俊さんの熱い語りに聴き入った。
③早い夕食
宿泊先の下道荘にチェックイン。
語り部の佐々木さんとご一緒に、ツア-の魅力の一つ、海の幸満載の夕飯をとり、祭りへと出発。
④歌津夏祭りに参加
祭りの最中に大きな地震が発生。高野会館の伊藤さんの言葉「こんな時、自分はどう行動すればいいのか?咄嗟の判断は?」
というのが頭を過ぎりました。「津波避難準備を!」の場内放送。あの日のことが蘇りパニックになる子どもも。
地元の人たちは、今も当時の恐怖を抱えながら生活しているのだと思いました。
盆踊りと支援している「サンシンズジュニア-」の演奏は中止になり残念でした。
子ども達は光る刀や金魚すくいなど1000円のお小遣いで楽しんだ様でした。真近で花火を楽しみ、下道荘へ向かいました。
お風呂に入り疲れを取り就寝。懇親を深める人もいました。
翌5日朝8時30分、宿を出発
⑤「ひころの里」でサツキの植樹とカブトムシ採り
サツキを植樹
朝から蒸し暑い中、全員で44本のサツキを植樹。これまでに約150本ほど植樹し、
里の堤は「埼玉サツキ公園」らしくなってきました。
カブトムシ採り
虫採り講座を熱心に受け「里の森」へ。手掴みのカブトムシを採った子どもも。
クワガタムシをプレゼントされ大喜びの子ども達でした。
⑥防災対策庁舎で慰霊
公園整備中で庁舎の頭しか見えない慰霊台で子ども献花、お線香を手向けて、自宅が庁舎隣の語り部の佐藤秀昭さんと
佐々木さんの津波襲来当時の熱い語りに聴き入りました。その後、20m高台の戸倉中学校跡地に立寄り、
高台避難者をものみこんだ想定外の津波襲来の様子を聞きました。
その後、大川小学校跡へと向かいました。
⑦大川小学校で慰霊
12時頃、佐藤敏郎先生と合流。子どもが献花をしてお線香を手向けました。
なぜ50分間も校庭に留まり、すぐ裏のなだらかな裏山に避難しなかったのか、
熱心に聞き入る子どもたちを前に先生の話には熱が入り、涙ながらに聴き入りました。
猛暑の中の校庭の一角にショベルカーが!
未だ行方不明の4人の児童を遺族が捜索しているとのこと。心が痛みました。
一路、帰途に!
上品の郷(道の駅)でお土産を買う時間を取り、午後2時30分、3台の車は一路、埼玉への帰途につきました。
午後8時頃、全車は無事、各々の予定場所に到着しました。皆さんのツア-への思いに感謝いたします。
(明社埼玉県協議会:ツア-実行委員長 西本蘭子)